附帯決議はラブレター
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今日2月1日、内閣委員会で特措法・感染症法改正案の対政府質疑が始まりました。私は11時30分から12時まで30分間の質疑に立ち、会館に戻って今、このnoteを書いています。
今回の改正案審議にはプロセスと中身、どちらにも重大な欠陥があるので指摘しておきたいと思います。
自民と立憲の修正協議では、大事な問題が解決していない
感染症の拡大を防止するために、時短命令や休業命令で人々の生業を奪い、休校要請で子どもの学習機会を奪い、外出自粛要請で人々の交流の機会を奪う。「生命・健康」と「国民生活や国民経済」のギリギリのバランスをとるのが特措法です。
そして、今回の改正の核心は2点。
①まん延防止等重点措置(以下「重点措置」といいます)という「平時」と「緊急事態」のグレーゾーンを作るが、ほとんど緊急事態と内容に違いがない
☞しかも、法的には国会の報告も必要ない②重点措置であれ緊急事態であれ、命令違反の国民には罰則をかける
☞しかも、政府は補償義務を負わない
さらに、この本質的な2つの問題は、自民と立憲の修正合意案でもそのまま丸ごと残っており、なんら解決されていないということが明らかになりました。
政府答弁は事情の変更とともに変化する
まず、新しくできる重点措置と、元からある緊急事態措置の違いはなんなのでしょう?ここの違いを明確にしないと、平時と緊急事態の境目がなくなり、緊急時の緊張感がなくなっていきます。もっと悪いのは、生活や行動を政府に左右される緊張状態が日常になってしまいます。
今回、重点措置には「営業時間の短縮等」という例示はあるものの、「等」で何がどこまでできるのか法律に書いておらず、政令で決めることになっています。そして政令というのは、法律と違い、国会での議論なしで政府だけで変えてしまうことができるのです。
これは、相当危ない。緊急事態宣言が再発令された今年の1月7日にも、突然政令が変えられてしまい、それで街の飲食店にまで時短・休業の要請や指示ができるようになってしまったんですから。
そこで私は西村大臣に、この区別を聞きました。具体例の方が分かりやすいと思い、「重点措置では、政令を変更したとしても、休業措置はとることはできないのですか?」と聞いたら「できません」と返答がありました。(え!そうなんだ。そこはっきり言うんだ)と思いつつ、続けて「そのほかに、政令を変えてもできない措置はありますか?」と聞いたら「全面的な外出自粛はできません」と答えがきました。
(へえ、予想外に明快)と思いつつ、そこで「そういう大臣としての答弁は、将来変わる可能性はありますか?」と聞いたら「事情の変更で変わる可能性はある」と言われました。(ああ、そういうことね。今現在、自分としてはそういう運用をするつもりだけど将来は分からないということね)と理解し、「そうであれば後から変わらないように法律に書いてほしい。重点措置というグレーゾーンで国が国民に命令できることとできないことの違いは国民にとってとても重要なので」。しかし、明快な答えはありませんでした。
つまるところ、答弁では法的約束にならないのです。検察庁法のときだって、安保法制のときだって、政府の答弁が合理的理由なく変わっていく光景をたくさん見てきました。あくまで法律に書かれたことをベースに議論しなければ、責任ある判断はできません。
そう考えていくと、結局、重点措置と緊急事態措置との区別について、西村大臣としては「重点措置では、自分としては、休業要請と全面外出自粛はできない運用としたい」と思っているのでしょうが、その法的根拠はなく、むしろ法的には区別がつかないと考えるべきでしょう。
附帯決議はラブレターであって婚姻届ではない
このように、出せる命令の内容にほとんど違いがない「重点措置」と「緊急事態措置」。命令の強弱も、両方とも罰則付きで、違いと言えば金額だけ。前者は上限20万、後者は上限30万。当初が30万と50万だったので、修正の実績作りに利用されたのがこの過料ということになるでしょう。修正前にしろ後にしろ、違いというには余りに些末。
そこで、国会の関与を見てみましょう。緊急事態では国会報告の手続きが「法文に明記」されていますが、重点措置については、国会報告の必要性が「附帯決議」に書かれることになっています。
裏を返せば、法律には書かれないということです。そして、附帯決議は法律ではありません。ただ国会が政府に対して「要望を伝える文書」であり、いわば思いをしたためたラブレターです。
政府を名宛人として国会が署名をするお手紙です。お互いで合意して署名する婚姻届ではないので、名宛人はもちろん法的な義務を負いません。
「あなたを拘束しない代わりに、せめてこの手紙を受け取って。気持ちだけは伝えさせて」というようなものです。名宛人としては、拒絶するのも角がたつので「分かりました。気持ちは受け止めます。ありがとう」と受け取るのが常。
今日、西村大臣に対して「附帯決議がついたら、守りますか」と尋ねましたが、大臣はよくこのことを分かっておられました。だから、決して「守ります」とは言わず、(誠実な口調で)「重く受け止め、尊重します」と言ってました。要は、守ると言う約束はできないということです。そりゃそうです。守る覚悟があるなら法文に書くはずですから。
もうひとつ、守る覚悟がないので法文には書かず附帯決議でお茶を濁したのが、最も大事な「補償」の問題です。
法文には「経済的な支援」としかありません。そして、支援は「政策的な施し」であって、やるかやらないかは政府の胸先三寸。国民や事業者側に要求する権利はありません。
附帯決議や答弁でも、せいぜい「事業に与える影響の度合いを勘案して経済的な支援をする」という程度。それだって、守られるかどうかは政府次第。法的な拘束力は極めて不安定です。
一律6万円給付が必ずしも公平な支援になっていないという指摘もあり、しかも罰則付きで事業者に厳しく命令しようとしているなか、命令する政府の側の「公正な補償義務」が法的に全く担保されないことは、全くおかしい。
今回の改正案の数多ある不合理の中でも、最たる不合理というべきだと思います。
だからこそ、やはり
①重点措置を作るなら、罰則をなくし、国会報告を必要とする
②緊急事態は、罰則を付加し、国会承認まで必要とする
③そしてなにより、どちらも「命令」という形で国民を強く従わせる以上、政府は法的に「公正な補償義務」を負う
せめて、特措法についてはこの3点が必須だと強く主張します。
感染症法についても、相当問題が深刻でした。また、おって書かせてください。
国会質疑の前に修正協議が終わっているのはおかしい
そして最後に、自民と立憲の修正協議が終わっている状態で、政府に対する質疑に立ってみた率直な感想。国会質疑前に修正協議を終えるのは、国会議員として国会を殺すようなものだと思います。
議場にいる誰もが、もうあと数時間後に、自民と立憲から修正協議案が出されると分かっていながら、政府案を協議する。
しかも、質疑でどれだけ政府案の不合理さや、修正協議案の甘さが可視化されても、野党第一党が自民党と事前に約束している以上、再修正はされないまま今日通ってしまうことも、みんな分かっている。
だから、自民党は、「おかしいってことは分かっているんだけどね。もう野党第一党と合意終わってるからね」という表情で静かに見守る。
立憲民主党は「おかしいってことは分かっているんだけどね。おかしいことをはっきりさせ過ぎちゃうと賛成しにくくなるからほどほどの指摘にしているんだよね」というトーンで質疑に立つ。
ちなみに共産党は「こういう罰則みたいな類は、うちはそもそも反対なんで」と確かな野党として淡々と指摘する。
そうした雰囲気のなか、私自身、国会の空虚を埋めるような質疑をやり切れたのか、貴重な30分を十全に使い切ることができたのか、何とも自分に腹立たしいような気持ちが残ります。
だからこそ、せめて今のうちに問題を文字にして今後の教訓として残したいし、自分自身もこの割り切れない気持ちを忘れないようにしたいと思って書きました。
少なくとも、国民民主党として、問題点をできる限り明確にし、その問題を乗り越えるような具体的な方向性を提示し続けた上で、反対をします。反対をした上で、これからも改善の努力を続けます。
それでは、この特措法の採決の本会議に行ってきます。