note note

山尾志桜里の憲法審査会日記

▶︎note記事はこちら

今日の憲法審査会でこんな話をしました。

木曜日といえば憲法審査会。
この国会2回目の審査会は、「憲法と国民投票法に関する自由討議」(1時間)と「国民投票法の質疑」(20分)でした。

最近の自由討議でいいなと思うのは、
①一方的な意見発表ではなく、双方向のキャッチボールにしていこう
②そのためには、当日の論点をもっと絞り込もう
③幹事会や小委員会を利用して、具体的な議論をしていこう
というように、議論を深めるための手法について、問題提起がなされたり、課題を共有できるようになってきたことです。

私も、できるだけ
①他の委員の発言に言及したり、他の委員に質問したりすることを心がける。
②自分の発言がどの論点に位置付けられるのかを意識的に明らかにする。
③本質的なことを具体的に話す(これが難しい!)
など努力はしているのですが、まだまだ修行中です。

また、もうひとつ今日の審査会で意義深かったのは、私が頂いた質疑(1人持ち時間3分。短い!)の機会で、答弁者の中谷元委員、北側一雄委員、馬場信幸委員、それぞれがいわゆる「形式答弁」から少しずつはみ出してご自身の問題意識を語ったことでした。とりわけ北側委員が、インターバル規制(一度国民投票で否決された改憲テーマについて再度投票にかけるまでの期間規制)について、憲法96条で保障された憲法改正を法律で制約することの是非という視点を提示されたことは、よいタイミングでの重要な指摘だったと思います。私もこの点は、「トランプ大統領が敗北を認めない」とか「大阪で住民投票が5年で2回あった」というように、直近で起きた生々しい出来事と関連性があるとはいえ、憲法改正の国民投票を制限すべき立法事実にまで昇華していない中での議論ではないか、という懸念があったのです。

ともあれ、憲法審査会の議論というのは、日常的な知識・経験の蓄積や自分なりの概念の整理・発展をベースに、当日は他者の意見を吸収しながら動的に進めたり深めたりするところが醍醐味だし、本来求められていることだと思います。まだまだ私自身不足だらけですが、せめて国民の皆さんに、憲法上の課題が社会にどう現れているのか、その具体的な解決策として何が考えられるのか、論点と選択肢を提示する役割を果たしていきたいと思います。

「質疑」については議事録がまだ出ていないのですが、その前の「自由討議」での発言を、事前のメモに基づいてここにnoteしておきます。

自由討議での発言(事前メモに基づく)

国民民主党の山尾志桜里です。
今日の自由討議の対象は、「憲法」と「国民投票法」のふたつ、つまり「中身」と「手続き」のふたつが対象になっているので、区別して話します。

まず、「国民投票法」の採決について。
この国民投票法については、①7+2項目のように公職選挙法ならびで投票機会を拡大していくもので基本的にイエスの答えが出ているものと②CM・ネット規制や資金規制やインターバル規制のように自由と公正のバランス調整が必要で、今後課題も答えも変化していく可能性が高いものとに大別されます。とりわけ②は現在、デジタル技術の発展(AIやアルゴリズム)が個人の意思形成に影響を与え、結果民主主義そのものを変質させるプロセスにあり、世界中でこのプロセスを注視しながらバランスをとる工夫が始まったところです。①と②について並行審議一括成立にこだわるのはムリがあるのではないかと考える理由のひとつがここにあります。答えがでているものはきちんと成立させ、今後不断の見直しが必要なものは時宜にあわせてきちんと改正を繰り返していく方がよいのではないかと思います。

続けて、CM規制等の個別の論点について。
旧国民民主党で提出済みの改正案でスポットCM・ネット広告規制・運動資金規制・インターネット運動規制などを提起していますが、今日は3点についてお話しします。

まず、第一に当日運動の禁止。前回鬼木委員からは投票日当日の静謐な環境という趣旨は一般の選挙だけでなく憲法改正の国民投票にも該当するのではないか、という意見が出されました。辻元委員からは大阪の住民投票の経験をふまえ、最後は非常に過熱するので当日は静かな環境が必要というお話がありました。こうした発言は、理論的にも経験則上も理があると思いますし、情報収集手段の多様化した現代では当日の運動が禁止されても投票者の情報収集にそれほど実質的な困難があるとまではいえないと考えます。なので、この論点については、今後大きな異論がないなら、法改正すべきではないかと思います。

第二に、解散による衆議院総選挙との重複の回避。ここは、与野党ともに回避すべきという意見でおおよそ一致していたと考えてよいように思いますが、問題は、この審査会での立法者・立憲者意思として議事録にとどめることで十分とするか、やはり法に明記するかということだと思います。私としては、残念ながら法案審査過程における立法者の発言の重みがどんどん軽くなり、共通認識という不文律が「書いてなければ破られる」状況が頻発している今、ここは法に明記すべきではないかと思います。

第三に、否決案件の一定期間の再発議制限いわゆるインターバル規制です。まだ成熟していない論点ですが、今時点では直近の米大統領選で敗北宣言をしないトランプ大統領、とか大阪で住民投票が5年で2回ありましたね、というちょっと生々しい光景が目の前にあり、立法事実にまで昇華していない感じがします。また、通常は否決されたら少し変えて提案するわけで、「案件の同一性」を誰がいかなる基準で判断するのかということまで考えていくと、もしかしたらそこは民主主義のプロセスに委ねていいのかなという感覚があります。ここは、諸外国の例を調べてみたいと思うのですが、取り計らいの検討をお願いします。

つぎに、「憲法」の中身について。
「憲法」の基本原理である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」は素晴らしい。しかし、この基本原理をきちんと守るために、憲法を変える必要が出てきたと考えています。

国民民主党の憲法調査会では、たとえば山本龍彦先生や横大道聡先生の話を聞いて、「国民は主権者として大事なことを憲法で決めたらあとは眠ることを予定している。しかし永久に眠り続けると権力を委託した他者に主権を横取りされるので、いざというとき目覚めるための制度が憲法改正である。しかも日本国憲法の統治機構は極めて規律密度が低いことからすれば、日本国憲法は本来眠れない憲法であり、目覚めることが必要ではないか」という視点を頂きました。これは山尾訳で、あくまで私の受け止めです。
また、井上武史先生からは、「憲法は本来国民国家を統合する役割を果たすもの。しかし日本では国民を分断する契機となっている。」という問題意識のもと、フランスの改憲プロセスにおいて、サルコジ・オランド・マクロンと政権政党が変われど、統治機構をテーマに憲法付属法もあわせて改憲議論が進み、改憲の結果の検証も含めたPDCAサイクルが回っていることが紹介されました。

また、宍戸常寿先生からは、「幅広い観点から質疑討論を尽くし、国民投票においては国民に、賛成反対の対象を明らかにすること、賛成反対の帰結を明らかにすることの重要性」のご指摘をうけました。
地方自治の観点からは、全国知事会長である飯泉嘉門知事から、平成29年に知事会のWTでまとめられた地方自治の明確化と拡充に関する草案を説明頂きました。

さらに、安全保障の観点からは、以前創憲会議として草案をまとめる一員となられた加藤秀治郎先生から「絶対平和主義者が暴力を放棄できるのは、代わりに誰かが行使してくれるから」というオーウェルの言葉を、そして細谷雄一先生からは「戦前の日本が軍国主義という名前の孤立主義に陥ったとすれば、戦後の日本はむしろ平和主義という名前の孤立主義に陥っているというべきではないか」という指摘を頂きました。あわせてconstitution(
この国のかたち)の議論があってこその改憲議論だと。我が国の「平和主義」という価値観の本質を、立場を超えて議論すべきときが来ていると感じます。あえて言えば「自衛隊を明記するだけで何も変わらない」というような提案ではなく、この本質に向き合った議論を交わし、論点と選択肢、そのメリットとデメリットを正直に国民に提示するような役割こそ、この憲法審査会が担うべき役割ではないかと思います。

また、このグローバリズムの時代に、国境を超えて個人の人権を制約してくる社会的権力、たとえば国家と比肩するくらいのパワーを持つGAFAなどからどうやってプライバシーや民主主義を守るのかという疑問に対し、小山剛先生からは「国家による基本権保護義務」という考え方を教えていただきました。もちろん、憲法の一番重要な役割は、国民が国家権力を統制することにありますが、憲法を通じて国家像や社会像を提示していくという役割も担っていいのではないかと考えます。

ぜひこの憲法審査会でも、改めてこうした先生方から、新たな時代・新たな課題をふまえて「constitutionこの国のかたち」をデザインする思考方法というものを伺って、建設的な憲法議論をしていきたいということを希望して、私の発言を終えます。ありがとうございました。

—————————————————————————-

☆よろしければ、山尾志桜里のTwitterYouTubeもご覧ください☆


ページトップへ